かね
鐘
国内
物品・機械
- どんな話か
- 奪われた鐘が元の寺へ帰りたいと鳴り、捨てられた後も小蛇が裂け目を癒したと語られる。
- 細部
- 文保2年の火災のあと、三井寺の鐘は叡山の側へ持ち去られたと伝える。ところが撞いても音が出ず、力任せに撞くと、もとの寺へ戻りたいと訴えるように響いた。腹を立てた衆徒は無動寺の高みから投げ落として打ち捨てたが、それきりでは終わらず、夜ごとに小さな蛇が姿を見せ、尾で傷口を打つと裂けた金属がふさがっていったという。もう一つの話では、勢田橋の下の湖岸が夜な夜な光り、延宝3年6月に石を採る折に掘り出してみると見事な鐘であった。かつてこの地は竜宮であったと言い伝えられており、願かけのために沈められたものだろうと語られている。
- 広まり方
- 1975年刊行の『日本随筆大成』第二期に収める菊岡沾凉『諸国里人談』と、1976年刊行の同第一期に収める山口幸充『嘉良喜随筆』に見える。
- 地域
- 滋賀県大津市
- 年代
- 江戸時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ