やまのてらどううんじ
山ノ寺洞雲寺
国内
未確認生物
- どんな話か
- 恋慕の末に大蛇と化した男女が村と寺を焼き、後年二頭の大蛇を鎮めた禅師の祈祷によって守護の白狐が現れたという由来譚。
- 細部
弘仁年間(810~824年)に慈覚大師が中興し、山ノ寺と呼ばれるようになったこの寺は、利府生まれの田村麻呂が宝亀年間(770~781年)に学問を学んだ場所だとも伝わる。享保年間(1716~1735年)には輪王寺の前住職が復興し、大伽藍を築いた。この地にはかつて、大菅谷・佐賀野という美しく年を取らない夫婦がいたが、諸国を巡っていた僧定恵が訪れ、錫杖で地面に輪を描いて「この輪の分だけ土地を貸してほしい」と申し出た。
承知したとたん輪はどんどん広がって全ての土地を呑み込み、夫婦は約束通り土地を明け渡して泉ヶ岳のふもとへ移り住んだという。その後、天長年間(824~833年)には、村の長者勘新太の妻普美子が寺の美しい少年僧竹阿に恋い焦がれ、思いが叶わぬまま大蛇と化して村も寺も焼き尽くしてしまう。竹阿もまた寺の池に身を投じて大蛇となり、雌雄そろって門前の川に潜んでは旅人に害をなすようになったという。
それから500年ほど経った暦応元年(1338年)、この地を訪れた明峯素哲禅師が老翁からこの話を聞き、7日にわたって祈祷を行うと、2頭の大蛇が現れて逃げ去った。すると同時に白い狐が姿を現して禅師に礼を述べ、末永く寺を守ることを誓ったという。さらに応永7年(1400年)には、寺に通っていた若夫婦が実は解脱を望む雌雄の大蛇であったことを和尚に告白し、感謝のしるしに牙を残して天へ昇っていったと伝わる。
- 広まり方
- 出典は『宮城縣史 民俗3』(1956年)の伝説「祠堂の部」に5話が収められている。
- 地域
- 宮城県仙台市
- 年代
- 平安時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ