たかやましのきつねそうをうつてっぽう
高山市の狐僧を撃つ鉄砲
- どんな話か
- 狐が僧に化けて鉄砲で見分けられた光善寺の訴訟話や、宴席帰りに橋でご馳走を盗まれる話、馬に乗せると正気に戻る化かされ話など多彩な狐話が伝わる。
- 細部
高山市には狐にまつわる話が数多く伝わっている。狐はしばしば僧に化けて人を化かすが、化かされた人に本当の害を与えることはなく、もとの状態に戻してやるのだという。高根町に伝わる話では、福島の光善寺から来た禅宗の僧を、近江某の作った鉄砲越しに見ると狐の姿に見え、鉄砲なしで見ると普通の僧に見えるということがあった。ある人がこの僧を鉄砲で撃つと、死んだのは実際の僧であったため仮に弔ったが、光善寺側から不都合だとして訴訟が起こり、結果として大徳寺の檀徒だった日和田の人々は光善寺の檀徒に改めさせられた。
そのため周囲一帯が真宗地帯である中で、日和田だけが禅宗になっているのだという。ほかにも、宴会の帰りに板が一枚おきに抜けた橋を用心して渡っていると、後から来た人に肩をたたかれ、気づけば橋は元通りでご馳走だけが盗まれていたという話や、買い出しに行った老人が灯篭をのぞきながら「お江戸が見える」と叫び、材料をすべて盗られていたという話、祭りの帰りに橋が急に二股になって渡れなくなり、背負っていた孫のご馳走が消えたという話が伝わる。
狐に化かされた人を正気に戻すには馬に乗せるとよいとされ、実際に山で化かされて切り株を叩き続けていた男も、馬に乗せて連れ帰ると治ったという。下岡本村にはコセン小十郎、孫十郎、おみつという名の狐がいたと語られ、孫十郎は自分がかつて天竺で文殊キシンと呼ばれていたと語ったとも伝わる。田植えのあとの夕涼みには、橋の向こうを提灯のようなものが飛んでいくのが見え、覗いてみると狐が畔豆を食べており、その尻尾が火のように見えていたのだという。
- 広まり方
- 1934年の『ドルメン』、1936年の『民族学研究』、1938年の『ひだびと』、1974年の『日本随筆大成第二期』、1980年の『民俗採訪』の複数記録にまとめられている。
- 地域
- 岐阜県高山市
- 年代
- 不明
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ