こおりやまのきつねをたすけたいしゃ
郡山の狐を助けた医者
- どんな話か
- 難産の狐を助けた医者や、化かされて肝を狙われた清六など、湖南町に残る狐にまつわる話。
- 細部
郡山市湖南町には狐にまつわる話が数多く伝わっている。難産に苦しんでいた狐が福良の本田医者を頼ってきた話では、狐は莚を人力車と見せかけて医者を三代の山王坂の「ごすてんのうさま」まで連れて行き、無事に出産を助けてもらった礼に御馳走を出したが、それは吉野屋から盗んできた見参の御馳走であり、支払われたお金だけは本物だったという。これは明治10年か15年あたりの出来事とされる。
三代の盆踊りには、何年もの間きれいな女に化けたお化け狐が踊りに来ていたといい、若い衆が「めんげぇおなご」だと送って山王坂まで行くと姿を消し、翌晩また踊りに来たという。盆が明けた頃には西山形屋の穀入れの下で寝ていたが、稲荷様として大目に見てもらい、犬から逃げてアキルツルのあたりで捕まったとも伝えられる。山王坂へスッカナを採りに行った子どもが一人帰ってこず、翌日堤で見つかったが、持っていた弁当が生臭かったことから狐に化かされたのだろうと語られた。
中の入に住んでいたある人物が、酒に酔った帰り道に柏屋でまんじゅうを買い求めて戻る途中、鳥居のあたりで周囲がまるごと川に見えてしまい、着物の裾を高くたくし上げて「深い深い」と口にしながら立ち尽くしていたという話や、麹屋のおとっつぁまが山で狐に会い、自分は白河の石地蔵だと袋をかぶって化けて狐を欺き、逆に狐を花魁に化けさせて吉原に送り込んだという話もある。狐は殺されそうになって逃げ帰り、白河の石地蔵をばかにしたと恨んでゆすったが、あまり揺すりすぎて石地蔵の下敷きになって死んでしまい、人をばかにする狐がいなくなったという。
清六という猟師が子狐を捕らえて食べたところ、外から「うまいか清六」という声が聞こえて狐が逃げていくのが見え、翌晩また肉を食べていると「流しの下の骨を見ろ」という声とともに、そこには清六自身の子どもの骨があったという恐ろしい話も伝わる。別の伝えでは、清六が乳飲み子をさらわれて食われてしまったともいう。さらに、鉄砲うちのもとへある雪の晩、いつもは女性が持つはずのおしんめ様を持った男が訪れ、殺生をやめるよう告げて去っていったが、翌朝罠にかかっていたのは綿帽子をかぶった狐であり、あの男は狐の化けた姿だったとわかったという話も伝わる。
- 広まり方
- 1970年の『猪苗代湖南の民俗:福島県郡山市湖南町三代』所収、東京女子大学史学科郷土調査団の口承文芸(昔話)の記録による。
- 地域
- 福島県郡山市
- 年代
- 明治時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ