かっぱ
河童
国内
未確認生物
- どんな話か
- 田辺家に棲んでいた河童は竜宮から持ってきた器で食事を与えられ、円座に座って農作業を手伝い来客時には天竜川の魚を届けてくれたが、召使が誤って蓼汁を食べさせたため姿を消し、以来家は衰運に傾いたという話。
- 細部
- 田辺家には昔、河童が棲みついていたと語り伝えられている。この河童に食事を与えていたという器が今も同家に大切に蔵されており、この器は河童が竜宮から持ち帰ったものだといわれている。河童は普段、円座を敷いてその上に座っているのが常であり、家ではこの円座も大切に保管していたが、30年ほど前についに失われてしまったのだという。田辺家に棲んでいたこの河童は農作業の手伝いをよくこなし、来客があるときには天竜川まで出向いて鯇魚を2匹捕らえてきては、台所の入り口に置いておくということもしていた。ところがあるとき、同家に仕えていた召使が誤って蓼汁をこの河童に食べさせてしまい、それを境に河童は姿を消してしまったのだという。それ以来、田辺家の運勢は徐々に傾いていったと伝えられている。オヤカタと呼ばれた別の旧家にも、かつて河童が棲んでおり、普段は竈の上や釜の蓋の上に円座を敷いて座りながら、同じように農作業の手伝いをしていたという話が残る。また三河の田原家では、屋敷のすぐ下にある青淵に棲む河童が農作業を手伝い、来客の折には鯇魚を2尾ずつ届けてくれていたといい、この河童も普段は竈の上や釜の蓋の上に住んでいたとされ、その河童が使っていたという御器が今なお同家に伝わっているという。
- 広まり方
- 1928年の『民族』誌の早川孝太郎「河童俗伝」、および1959年の『西郊民俗』誌に掲載された最上孝敬「稲作と水神」、郷田洋文「家の神の水神的性格」に記録されている。
- 地域
- 愛知県豊根村
- 年代
- 不明
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ