きたきゅうしゅうしのうみごぜんさまとかっぱのおきて
北九州市の海御前様と河童の掟
国内
未確認生物
- どんな話か
- 河童を統べる海御前様が5月に河童を集めて掟を言い聞かせ、笹や苔にまつわる牛馬を守る禁忌も伝わる。
- 細部
門司区の大積にある天疫神社は、壇ノ浦の戦いで入水した平家の将、能登守教経の妻の遺体がこの浦に流れ着き、里人がこれを祀ったことに始まるという。この女性は後に神として崇められ、海御前様と呼ばれるようになり、河童たちを束ねる総元締めとしての性格を持つようになった。毎年5月の節句になると河童たちを呼び集め、蕎麦の花が咲き出す前に山へ帰ること、そして敵でない人や家畜の命を無闇に奪ってはならないことを厳しく言い聞かせてから解散させるという。
指示を受けた河童たちはその後思い思いに過ごし、秋口に蕎麦の花が咲き始めるころ、また山へ引き上げていく。また、旧暦6月の大晦日には笹の葉が混じった飼料を牛馬に与えない習わしもあり、笹を食べた牛馬は体が重くなるため河童に狙われやすいからだと説明されている。加えて、門司城主であった大積伊賀守隆鎮の墓が玉泉寺にあり、この武将は大友宗麟によって討たれてこの地に葬られたとされるが、その墓についた苔を牛馬に食べさせておくと河童にさらわれずに済むとも言い伝えられている。
- 広まり方
- 1935年の雑誌『旅と伝説』に掲載された須田元一郎「九州北部の伝説玩具」に、3つの話がまとめて記録されている。
- 地域
- 福岡県北九州市
- 年代
- 不明
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ