じぞう
地蔵
国内
呪物・呪い
- どんな話か
- 地蔵堂の精進あげを取りやめると疫病が流行り再開で収まった話と、夢のお告げで土中から弘法大師作の地蔵像が見つかった話がある。
- 細部
- 西光法師が建てたと伝わる地蔵堂では、毎年の祭りのあと、精進あげとして池の魚を食べる習わしがあった。ある年、村長がこれを地蔵尊に対して恐れ多いことだと考え、精進あげをやめるよう提案し、村人たちもこれに従ったという。ところがそれが裏目に出て、かえって村中に疫病が広まってしまった。困った村人たちが翌年から精進あげを元どおり再開したところ、疫病はぴたりと収まったと伝えられている。また別の話では、享保15年7月のこと、両替町通竹屋町上るの家の主人が見た夢に何者かが現れ、自分は土蔵の中にいるので早く出してほしいと訴えたという。翌日主人が土蔵を調べても特に変わったものは見当たらなかったが、地面を2尺ほど掘ってみると、地蔵の石仏が姿を現した。その背には弘法大師作、西方寺の文字が刻まれており、かつてこの地に西方寺があったことがこれによって判明したのだという。この石像はそのまま安置され、その年から地蔵祭が始められたと伝えられている。
- 広まり方
- 1975年刊『日本随筆大成第1期』所収「雲錦随筆」、および1982年刊『続日本随筆大成別巻』所収、本島知辰「月堂見聞集(下)」に記されている。
- 地域
- 京都府京都市
- 年代
- 江戸時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ