いそらがみ
磯良神
国内
未確認生物
- どんな話か
- 永正2年創建の磯良神社は河童神とも呼ばれ、大崎氏の合戦で子供や老翁の姿をとって道案内をしたという神徳伝説が伝わる。
- 細部
磯良神社は永正2年(1505)8月16日の創建と伝えられ、河童神とも呼び習わされてきた社である。地名や宮司家の姓までもが河童にちなむとされ、毎年旧暦6月15日の祭りでは、社の裏手を流れる河童川にその年初めて実った胡瓜を流し供えるまでは誰も口にしないという風習が守られている。この社にまつわる合戦譚も残る。大崎家の当主義兼が、松山治部大輔治次が拠る志田郡の松山城攻めにかかったおり、続いた長雨で鳴瀬川の水位が上がり、逆巻く流れに行く手を阻まれた。
そこへ軍奉行中里豊後の船に十二、三歳ほどの子供が現れて水棹を操り、対岸まで導いたうえ後続の船にも綱を結んで全軍を渡らせ、松山城の攻略を助けたという。この子供は姿を消したのち豊後の家に現れ、みずからは上一ノ関に鎮まる磯良明神であると名乗ったうえで、再び行方知れずとなった。義兼は社殿を造営し神田を寄進して祀ったと伝わる。時代がくだり、義兼の孫の義隆が桃生郡辻堂城を攻めた際には、外濠が深くて攻めあぐねていた。
一人の老翁が船を漕いで現れると、侍大将の一栗左近だけを舟に乗せて濠を渡らせ、そのまま先頭に立って城を落としたという。戦のあとには船も老翁も見当たらず、濠のほとりには一本の白い幣束だけが残されていたと語り継がれている。
- 広まり方
- 1956年刊『宮城縣史 民俗3』の伝説:祠堂の部に3話とも記録がある。
- 地域
- 宮城県色麻町
- 年代
- 室町時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ