いなりまるのそうなん
稲荷丸の遭難
国内
未確認生物
- どんな話か
- 明治43年の稲荷丸遭難で禁忌を破った者は死に、供物用の釜を守った者は助かり、帰路には亡霊船も現れたという。
- 細部
明治43年(1910)旧暦8月、女川町塚浜の木村幸吉が所有する大型船、稲荷丸が金華山沖で時化に遭って転覆し、乗組員は次々と海に投げ出された。日頃から海の掟に背いた者は罰を受けるとされており、前日の朝食で仏前に供えるような山盛り飯を突き立てて後輩に差し出した米倉悟と、その仕返しに同様の飯を差し出した丹野甚吉の二人は、ともに行方が知れなくなってしまう。一方、船霊様への供え物となる昼食の支度をしていた炊事係の養八は、海に投げ出されながらも夢中で釜を離さずにいたところ、誰かに背中を押し上げられるようにして船へと戻ることができたという。
この遭難を乗り越えたのちのある晩、稲荷丸が暗い海を進んでいると、時化にもかかわらず沖から近づいてくる一隻の船があった。左右の舷灯の位置まで逆さで、明らかに異様なその船は帆を高く上げて猛然と右舷へ突っ込んできたが、船長の安藤伝五郎が燃え残りの薪を投げつけると、船影はふっと消え失せたという。生き残った人々は今も存命で、海の掟と亡霊船の実在をかたく信じているという。
- 広まり方
- 1956年刊『宮城縣史 民俗3』妖怪変化・幽霊の事例篇に記録がある。
- 地域
- 宮城県女川町
- 年代
- 明治時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ