ほういんとみかたのまつ
法印と三方の松
国内
呪物・呪い
- どんな話か
- 葬法の遺言に背いた村に疫病が流行った法印の伝説で、墓印の松を伐った昭和期の関係者も相次いで亡くなったという祟りが加わる。
- 細部
元禄年間、この地に住んでいた一人の法印が、自分が死んだら鰯を口にくわえさせて棺を逆さに納め、引田沢を見下ろす山に葬るようにと言い残した。そうすれば今後この山里に厄災が流行ることは決してないとも言い添えていたが、法印が没したのち部落の者たちはいつもどおりの葬り方をしてしまう。すると案の定その年のうちに悪い病が部落中に広がり、多くの死者を出す事態となった。これは法印の遺言に背いたためだということになり、改めて言われたとおりに葬り直したところ、ようやく疫病は治まったと伝えられている。
法印の墓印として植えられた一本の松は、その後も年月とともにぐんぐん育ち、根回り十八尺、枝の張りが十間四方にも及ぶ巨木となって三方の松と呼ばれる霊木になっていった。ところが昭和二十九年(1954)、毘沙門堂の修理費を工面するため、土地の持ち主だった小島某がこの松を材木商に三万円で売り渡してしまう。地元では引き受け手が見つからず、他の町村から木樵を雇い入れ、伐採前には僧を招いて回向をし、部落の人々にも供養の振る舞いを行ったうえでの伐採だった。
祠堂のために使われるのだから祟りはあるまいと誰もが思っていたが、伐採から一年もたたないうちに木樵二人と持ち主の小島某が次々に世を去ってしまい、部落の人々は因縁の恐ろしさをささやき合ったという。
- 広まり方
- 1956年刊『宮城縣史 民俗3』の妖怪変化・幽霊の事例篇に3話とも記録がある。1954年の松の伐採をめぐる後日談を含む。
- 地域
- 宮城県角田市
- 年代
- 江戸時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ