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福島の稲荷が退治した大蛇のイメージ挿絵
この挿絵は当サイトが項目ごとに用意したイメージ画像です。写真や原典の図版ではありません。

ふくしまのいなりがたいじしただいじゃ

福島の稲荷が退治した大蛇

国内 未確認生物
どんな話か
稲荷や白鳥明神の力を借りて大蛇を退治したという、福島市茂庭一帯に集中する複数の伝説をまとめた話。
細部

平家の落人が白羽の矢で大蛇を退治し、苦しみのたうち回った跡地はミカズリと呼ばれている。摺上神社の主も大蛇とされ、やかんほどの太さでとぐろを巻いて摺上川の源の淵に棲んでいたという。名号・梨平・田畑にある三つの御岳神社は、菅沼に棲む大蛇を退治した際、生き返らせないよう尾・頭・胴をそれぞれ別々に埋めて祀ったものとされ、使いはアオダイショウだと伝わる。梨平の稲荷神社は矢取稲荷とも呼ばれ、茂庭の姫が人買いの文五郎にさらわれ大蛇の生贄にされかけたとき、茂庭の家来が戦う中、白鳥が咥えてきた矢を稲荷様が拾い与えたことで大蛇を退治できたといい、蚕にご利益があることから今は金取り稲荷とも呼ばれる。

茂庭の湖に棲んでいた大蛇は人年貢を取り立てており、建久3年(1192年)、主君の父の一周忌のために妹を売った今野図書の事情を知った斎藤実良が、稲荷から授かった白羽の矢で9月19日に大蛇を退治し、その功で伊達家から茂庭の地を賜って移り住んだという。別の伝えでは、平将門の愛妾桔梗の前が、恋人であった田原藤太秀郷を恨んで蛇身となり菅沼の主となり、人身御供を求めるようになったが、下総の浪人・周防が娘を売った経緯からこの話を知り、白鳥明神の神通の鏑矢で大蛇を退治し、茂庭の領主となったとも伝わる。

また、1121年(保安2年)にはあゆ滝という阿武隈川沿いの川原に棲んだ大蛇を、在家の人々が黒沼神社にこもって退治したという羽山ごもりの由来譚もある。承平年間には平将門の女弟がこの地で秀郷への嫉妬から自害し、その魂が大蛇となって菅沼に棲みつき、建久年間には人身御供を求めて村人を苦しめたが、白鳥大明神の霊験によって射殺されたともいう。さらに黒岩村の岸には大蛇が棲んで人々を悩ませていたが、景光天皇の御代に日本武尊がみずから射殺し、後に諏訪明神として祀られたという伝えも残っている。

広まり方
1964年・1985年刊行の『民俗採訪』(國學院大學民俗学研究会)、1964年刊行『福島県史 第23巻 民俗1』、1967年刊行『福島県史 24 民俗2』(いずれも山口弥一郎・和田文夫らによる)にまたがる記録による。
地域
福島県福島市
年代
不明
検証状況
伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。

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