や,みなもとのつねもと,たけ
箭
国内
場所・異界
- どんな話か
- 武蔵守として赴任した六孫王経基が満願寺の阿弥陀堂を建てる地を北へ矢を射て定め、矢の落ちた場所は大御堂と呼ばれるようになった。
- 細部
- 六孫王経基が武蔵守としてこの地に赴任した際、満願寺に阿弥陀堂を建立しようと考えた。堂を建てる場所を定めるにあたり、経基は境域の外へ出て北の方角へ矢を射り、その矢が落ちた地点を建立地に決めたという。この場所は後に大御堂と呼ばれるようになった。大御堂の周辺には竹やぶが茂っており、それは箭竹のような姿をしていたと伝えられる。この竹やぶは、経基が放った矢がその地に落ちて成長したものだとする石碑が建てられていたという。
- 広まり方
- 1930年発行の雑誌『旅と伝説』に柳田國男が寄稿した「伝説と習俗」に記録されている。
- 地域
- 埼玉県鴻巣市
- 年代
- 平安時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ