たっこくのいわやのあくろおうでんせつ
達谷窟の悪路王伝説
国内
人型の怪異
- どんな話か
- 蝦夷の頭領・悪路王らが達谷窟を拠点に周辺を襲っていたが、801年に征夷大将軍・坂上田村麻呂によって討伐されたと伝わる。討伐の記念として建てられたのが達谷窟毘沙門堂とされる。
- 細部
- 悪路王は赤頭・高丸といった仲間とともに人々を苦しめていたとされ、坂上田村麻呂はこの岩屋の前に九間四面の堂を建てて鞍馬寺を模し、多聞天(毘沙門天)を祀ったのが達谷窟毘沙門堂の由来と伝わる。悪路王という名は実在した蝦夷の指導者・阿弖流為がその原型ではないかとも指摘されているが、両者の直接的なつながりを示す確実な史料はない。切り立った崖に清水の舞台を思わせるお堂が建つ達谷窟は、今も平泉観光の名所の一つになっている。
- 広まり方
- 達谷窟毘沙門堂が平泉観光の名所として広く案内されることに加え、坂上田村麻呂による蝦夷討伐伝説の代表例として郷土史でも繰り返し語られてきた。
- 地域
- 岩手県西磐井郡平泉町
- 年代
- 平安時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ