すとくじょうこうのたたり
崇徳上皇の祟り
国内
人型の怪異
- どんな話か
- 保元の乱に敗れ讃岐へ流された崇徳上皇が、恨みを抱いたまま配流先で没し、日本三大怨霊の一人として恐れられるようになったという伝承。
- 細部
- 崇徳上皇は保元の乱(1156年)で敗北して讃岐国(現・香川県坂出市)に流罪となった。仏教への帰依を深め写経を朝廷に納めようとしたが拒絶されたことに激怒し、舌を噛み切って血で呪詛の言葉を記したと伝えられる。1164年に配流先で没した後、京では大火や争乱が相次いだため、人々はこれを上皇の祟りと恐れ、菅原道真・平将門と並ぶ「日本三大怨霊」の一人に数えられるようになった。没後は坂出市の白峯陵に葬られ、隣接する白峯寺は上皇の霊を鎮める寺として現在も信仰を集めている。
- 広まり方
- 『保元物語』や後世の説話・怪談集(上田秋成『雨月物語』の「白峯」など)を通じて全国的に語り継がれ、京都で相次いだ災厄と結び付けられて広まった。
- 地域
- 香川県坂出市(白峰)
- 年代
- 平安時代末期
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ