おおさかじょうのおんりょうでんせつ
大阪城の怨霊伝説
国内
人型の怪異
- どんな話か
- 大坂夏の陣で滅んだ豊臣方の無念が、大阪城跡で夜な夜な争乱の気配や怪異となって現れるとされる伝説。
- 細部
1615年の大坂夏の陣で豊臣方は敗れ、城主・豊臣秀頼は母・淀殿や側近ら32名とともに山里丸の一角に籠って自害し、遺体は焼け跡でどれが誰か判別できないほどだったと伝えられる。この壮絶な最期を背景に、大阪城跡では夜な夜な将兵が争うような声や気配がするといった話が伝えられ、浮かばれない豊臣方の怨念によるものとされてきた。秀頼の正室であった千姫は、後に出家して天樹院と名乗り、秀頼の菩提を弔ったとも伝えられる。
江戸時代の記録『金城聞見録』には、城内の閉ざされた一室に積まれた古畳の上で武術家・渋川伴五郎が肝試しに横たわったところ、白髪の老婆に胸を押さえつけられて身動きできなくなったという怪異が記されており、この畳は後に「ばば畳」と呼ばれるようになったと伝えられる。
- 広まり方
- 江戸時代の記録『金城聞見録』などを通じて城下で語られ、後世の歴史読み物や心霊スポット紹介サイトを通じて今も伝えられている。
- 地域
- 大阪府大阪市中央区(大阪城公園)
- 年代
- 江戸時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ