ののだけやま
箆岳山
国内
場所・異界
- どんな話か
- 延暦2年、坂上田村麻呂が蝦夷の頭目を討った際に矢を地に射て祈願すると根付き、山名の由来になったという。
- 細部
- 延暦2年、磐井郡達谷の岩屋を拠点にしていた蝦夷の頭目高丸が、駿河の清見ヶ関にまで攻め上ったことがあった。坂上田村麻呂は朝廷の命を受けてこれを迎え撃ち、高丸を追い詰めて神楽ヶ岡で討ち取り、その配下であった悪路王も斬った。戦のあと、山の上に敵味方の別なく亡骸を埋めて大塚を築き、その上に観音堂を建てるとともに、地主権現である白山の社前で矢を放って蝦夷平定を祈願したという。この矢が地面に突き立ったまま根を生やして芽吹き、箆と呼ばれる竹になったことから、それがそのまま山の名として定着したと伝えられている。
- 広まり方
- 1956年刊『宮城縣史 民俗3』の伝説:山の部に記録がある。
- 地域
- 宮城県涌谷町
- 年代
- 平安時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ