ひゃくにんはまのそうなんでんせつ
百人浜の遭難伝説
国内
場所・異界
- どんな話か
- 江戸時代、南部藩の御用船が嵐で遭難し、乗組員ら約100人が浜に打ち上げられて凍えと飢えで亡くなったという言い伝えが地名の由来として語られるが、地元の調査では由来には複数の説があるとされる。
- 細部
海の難所として知られる襟裳岬周辺の海域で、南部藩の御用船が東蝦夷地へ向かう途中に暴風雨で遭難し、百人余りの乗組員がなんとか浜までたどり着いたものの、秋の終わりの寒さと飢えで一人残らず命を落として砂に埋もれてしまったといい、これを悼んだ村人が供養の一石一字塔を建てたのが「百人浜」の名の由来だ、という昔話がえりも町の郷土資料館「ほろいずみ」によって紹介されている。
ただし同資料館の調査によれば、「百人浜」の地名自体は江戸時代の絵図・紀行文にすでに見える和人由来の地名で、由来には南部藩士遭難説のほかシャクシャインの戦い(1669年)でのアイヌ惨殺説、金堀り罪人処刑説などの諸説があり、地名が成立したとみられる17世紀後半〜18世紀の文献の記述からは金堀り罪人処刑説が有力と考えられている。
- 広まり方
- えりも町の郷土史・観光案内として悲話の形で地域に継承され、町の公式観光サイトや資料館を通じて紹介されている。
- 地域
- 北海道幌泉郡えりも町(百人浜)
- 年代
- 江戸時代
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ