ひれんぬまのでんせつ
悲恋沼の伝説
国内
場所・異界
- どんな話か
- 寛文年間に和人の若者とアイヌの娘が結ばれぬ恋を嘆いて別れ、娘の涙が沼になったと語られる百人浜近くの小さな沼の伝説だが、えりも町自身の調査では昭和40年代に観光向けに作られた話とされる。
- 細部
- えりも町の観光案内では、寛文年間(1661〜1673年頃)、油駒場所の請負人の息子「久作」と日高アイヌの娘「マエラ」が夜ごと襟裳岬の陰で忍び逢う仲となるが、部族間の争いと久作の内地帰還で引き裂かれ、あの世での再会を誓って別れた後、久作の船を追うように立ち尽くしていたマエラの姿が消え、代わりに沼が現れたという悲恋物語が「悲恋沼伝説」として紹介されている。しかし、えりも町郷土資料館「ほろいずみ」の研究紀要「えりも研究」に掲載された調査(中岡利泰、2020年)によれば、この沼のアイヌ語名は「シト」(本当の沼の意)であり、「悲恋沼」という名と物語は、昭和40年代初頭の襟裳岬観光ブームの前に、観光客受けするよう国鉄バスガイド向けとして創作されたものであることが分かっている。江戸時代の実話としてそのまま伝わってきた民話ではない点に注意が必要である。
- 広まり方
- えりも町の観光案内や旅行メディアで悲しい民話として現在も広く紹介される一方、同じ町の郷土資料館自身の調査によって近年の観光創作であったことが明らかにされている。
- 地域
- 北海道幌泉郡えりも町(百人浜・悲恋沼)
- 年代
- 昭和
- 検証状況
- 事実でないと確認
裏付けがなく、事実ではないと確認・指摘されている。 - タグ