ごりょう
御霊
国内
人型の怪異
- どんな話か
- 早良親王らの祟りを鎮めた上御霊社の由来と、非業の死を遂げた足利義嗣の怨念を恐れ将軍家が大掛かりな祈祷を行った話を伝える。
- 細部
- 上御霊社の起こりは、桓武天皇の御代にさかのぼる。無実の罪を着せられて世を去った早良親王や伊予内親王などの霊による祟りが人々を長く苦しめたため、伝教大師がこれを朝廷に奏上し、八柱の御霊を祀る社を建てて鎮めたのがはじまりだという。当初は八つの座がまとまって祀られていたが、賀茂川の洪水によって社殿が押し流され、複数の場所へ分かれてしまい、現在の上御霊社には早良親王と吉備公の二座だけが残っているとされる。もう一つの話は室町時代のこと、将軍足利義持の弟義嗣が、兄の命により林光院に幽閉されたのち命を落とした事件に関わる。数年後、将軍を継いだ義持の子義量が病の床でしきりに「故林光院御事」と口走ったため、義持はこれを義嗣の恨みのしわざではないかと疑い、醍醐にいた満済のもとへ相談を持ちかけた。その結果、亡き義嗣の霊をひたすら弔うことこそ肝要だという答えが返り、将軍御所では愛染護摩供や法華供・光明真言供を組み合わせた祈祷が七日にわたって執り行われたという。
- 広まり方
- 続日本随筆大成別巻1983年収録、操巵子「諸国年中行事」、および芸能史研究2000年掲載、天野文雄「<難波>成立の背景-応永十五年の将軍義持の家督継承前後の状況をめぐって-」に記されている。
- 地域
- 京都府京都市
- 年代
- 不明
- 検証状況
- 伝承由来
近代以前の民間伝承が下敷きになっている。 - タグ